■ 地域のお祭り

 八幡神社(上菅田町) ご祭神:応神天皇  (おうじんてんのう)  江戸期の祭礼:旧暦8/15

江戸時代、上菅田村の氏神様。上菅田の鎮守様。

 (地図)

社殿の両脇に八坂社(祭神:素盞鳴命)と天神社(祭神:菅原道真)が小さな祠を構えている。

 

創建年代不詳、文化13年(1816)に再建されたと言われています。


御由緒(建立記念碑の記述)

 

 この八幡神社は郷土上菅田の鎮守として永くこの地に遷座され、文化13年(1816年)に再建との史録があり、また、大正12年9月1日に発生した関東大震災には、大きな被害を蒙り当時の氏子崇敬者の多大な協力により復旧されて、爾来百大拾有余念の歳月と風説を経た歴史ある神社です。八幡神社の祭神は、応神天皇とされ、境内社として八坂社 天神社があります。八坂社の祭神は素盞鳴命とされ、天神社は九州大宰府の天満宮よりの御分霊により菅原道真公を御祭神とされております。八幡神社、八坂社、天神社の建立由緒については、記録的に不詳です。

 昭和55年2月12日午後5時頃、不審火により八幡神社社殿および八坂社共に全焼し一夕にして統べてが灰塵と化しました。幸いに、祭神の御加護か天神社のみ類焼を免れ、八坂社に奉齊の御神輿も無事に搬出されたことは、不幸中の幸いでありました。

 世情が騒然として驚愕の中にも神社関係者一同緊急に鳩首相諮り、対応策を議し、八幡神社社殿及八坂社の再建を決議した。その再建資金の捻出には、広く氏子崇敬者から浄財の御寄進を求めることとし、再建者委員会を発足せしめ、再建への第一歩を開いた。

 昭和56年6月7日再建委員会を開催し、再建原案を示し、再建予算を7千万円とすることの決定により事業の執行を促進した。

 事業の施行は本社を東京都に置く松井建設株式会社を指名業者とし、設計施工に当たらしめ、その設計施工計画は慎重審議の上決定、再建を開始す。

 

 昭和56年10月12日 地鎮祭施行

 昭和57年4月2日 上棟式施行

 昭和57年10月3日 竣工式施行

 

 八幡神社社殿及八坂社の竣工式に併せて披露をなし、多くの参詣者を迎えて茲に再建が達成されたものです。

 社殿再建を期し、由緒を正すため昭和57年9月30日大分県宇佐市所在の宇佐神宮より御霊の御分霊を拝戴し同年10月2日午後7時御分霊を八幡神社奥殿に神事式を施行し遷座された。

 氏子崇敬者のご援助により念願の八幡神社社殿及八坂社の再建が恙なく完成し、再び郷土の鎮守として萬方に安らけく。

守護の曙光を與えられる事の感激と、この再建に深いご理解により浄財をご寄進された方々を永く後世に伝え、そして八幡神社の繁栄とを祈念して、この記念碑を建立す。

 

 昭和58年8月吉日

    八幡神社社殿  再建委員会

 稲荷神社(新井町) ご祭神:宇迦之御魂神/倉稲魂命(うかのみたま)

お祭り 平成26年 9月14日(日)

正式名:(正一位)稲荷大明神

江戸時代、新井新田の氏神・鎮守様。

 (地図)

 当時代官だった新井忠兵衛という人が、幕府の領地だった御林・山野を買取り、宝暦年中(1741~1764)に開発して、新井新田(「新編武蔵風土記稿」による地名由来)ができたとき、人々が豊作を願って村の鎮守として建てたのが、今の稲荷神社だと言われています。